またもや英語しゃべれず

昨日は友達の命日。葬式に行ったのは3日だったため、3日が命日のように皆思っているけど。(それに気づいたのは同居人。)
漫想1号のことを思い出すときにはいつも彼のことを思い出す。彼の絵をみてすぐに、漫想に描いて欲しい、と思ったのでメールをすると、まだなんの形にもなっていない「漫想」のタイトルを誉めてくれて、「どういうコンセプトの雑誌ですか?」と聞かれたことを思い出す。コンセプトとかすんごい苦手なわたしはものすごい苦しみながらなんとかメールを書くとまた「コンセプトを教えて欲しいです」とメールが。返事になってなかったのか・・と反省してまた書くと、コンセプトを教えてくださいとでんわがかかってきて、上石神井の駅で携帯で1時間半くらいコンセプトのことを話したことも思い出す。(それでやっと納得してもらった。)そうやって話しながらまだ何の形にもなっていなかった雑誌のことがいろいろ決まったのだった。そのときに「編集者になったら一緒にいろいろな仕事をしましょう」といわれたけど、まだわたしは編集者になってない。
漫想2号はデザイナーの人たちがすばらしい協力をしてくれたのでいい雑誌になったけど、反省点は、自分自身が話をして、ちゃんと自分の考えを伝えることが出来る人に書いてもらう、ということを怠ったことだとおもう。有名だからとかそういう理由もあって人に頼んで原稿をとってきてもらったり、上手くコミュニケーションがとれなかった人になんとなく原稿を頼んだりしたために若干後悔しているところがある。大きな会社で作ってるわけではないので時間をどんなにかけても、自分の考えが言えて、たとえ自分と考えが違ったとしても自分なりに漫想になんらかのイメージを持ってくれる人の原稿を集めようと思う。1号はハサミとのりの切り貼りで、学級新聞並みのつくりだけどそれができていたと思う。と、卓也君のことを思い出しつつ考える。

この日は高円寺ペンギンハウスにてライブ。個人的にはポロポロミスはあったもののいいライブができたとおもう。calのイベントは客に外国人がたくさんいるなあと思う。そして皆盛り上がってくれるのでほんとに毎回嬉しい。はじめて見に来てとても気に入ってくれたお客さんがいたが英語が話せないためにあまりよく分からなかった。岡本さんに通訳してもらう。英語が喋れたらいいのにとスーザン・チャンチオロに会ったときも思ってそのまま何にもしないから喋れなくてあたりまえだ。フレンドリーにされても上手く応対できず。