大人の童話

(「ねじまき鳥クロニクル」をこれから読む人は以下読まないで)
ねじまき鳥クロニクル」を最初に読んだとき、ピンとこなかったのは最後の部分で、オカダトオルがワタヤ・ノボルを観念上であっても殺してしまったことに驚きと違和感を感じたのだけど、その時よりかは自分自身がうんと大人になって、今は納得しています。あの小説が3巻もかけて伝えていることは、ただただ「邪悪なものは存在する」ということであって、自分が本当にピンチになった時には、それと戦わなければならないこともある、ということなのだということに、その後「邪悪なもの」としか言いようがない人たち(あくまで「わたしにとって」、という相対的なものですが・・)と出会って知ったのでした。学生の時には、身体も心もあまり強くなかったおかげで皆に心配され、親なり友達なりその他諸々いろんな人に完全に守られていたから、ピンとこなかったけれども、出会う人皆がいい人で自分のことが好きで信頼して問題ない、ということはないわけで、時には自分や自分の周りの人たちを守るために戦わなければならない時も絶対にある、と今のわたしは思ってるのです。
ねじまき鳥クロニクル」は、(ひとまずは)悪が滅びて正義は勝つ、という形をとっているという意味において、真に「大人のための童話」なのです。倉橋由美子の悪趣味なグリム童話のパロディなんかより全然。ついでに言えば、大抵の場合正義は滅んで悪が勝つ、リンチの映画も逆の意味において大人のための童話であるなあとわたしは思ってるのですが。