気に入らない

日経のサイトで連載している書評コラムが気に入らない。ちとスノッブな男が、「1Q84」をつっつきまわしたかと思ったら今度は匿名作家「B」として(たぶん)サイバラに文句つけてる。その部分はただの導入で、本題は別にあるようなんだけど、なーんか、イヤーな書き方するの。Bさんが『金が大事』という覚悟を作品にした結果、大成功して巨額の金を齎している、とか、すごい表面的かつ悪意のある捉え方をしているの。実に気持ちが悪い書き方だ。もし、仮に、サイバラだとしてね(全然違ったらごめん。)、「金がないのは首がないのと同じ」とか、一連のあのサイバラ節をこんな大まじめにとらえて、大時代っぽい書き方で表現してるのだとしたら、もうびっくり、すごい文章力ですねえ、なのにあんたは売れなくて「巨額の金を齎する」ことができなくて残念ですねえ、と思ってしまうよ。
この怒りっていうのは、「なんでそんなにものごとを字義どおりに捉えるのっていう怒り」なんだと思う。いつもいつもわたしはそのことに怒ってる。サイバラの漫画が好きな人は、「金が大事」というメッセージを受け取って、「サイバラさんは金が大事なのか。そこが好きだなあ。わたしも見習おう。」と思って漫画を買ってるわけでない(と思う。現にわたしは金なんか全く無いしそれほどは気にしてない)。そう思ってたけど、でも、もしかしたら、そういう人もいるのかもなあ、怖いなあ、と今回コラムを読んで思ったのです。「友達が大事」と吹聴している人間が、実は他人への嫉妬心にまみれて、隙あらば人を追い落とそうとしてるかもしれないし、「妻のことが大好きです」という人が、実は浮気しているかもしれないのに、どうも昨今の世の中は、こういうことを大声で声高に言えば、字義通り誰にでも信じてもらえるような気がしてならない。みんなが自分がいい人であることを主張する上、本気でそう思ってる世の中だし、偽悪的なメッセージまでポジティブかつ真っ直ぐにとらえられてしまう。たぶん行間ってものは死んでしまったのだな。
ついでに、いつもいつもこのコラムが何でむかつくかって、この人と若干本の趣味がかぶるからこそ腹立たしいんだろうなあ。わたしは獅子文六が好きなのを必要以上にマニアックな趣味だとも思ってないし「誰も読まないような」「絶版になっているような作家」だけでなく、別に売れてる作家にひがんだりしないから、いろんな本が好きだし、そのことを別に得意げに人に吹聴したりしなくとも、一人で勝手に楽しんでいられるんだよ、「書評を書かなければいけないから毎月文芸誌を読まなきゃいけなくて大変」とか、オマエは金井美恵子の小説に出てくるスノッブな大学教授気取りか!といつもコラムを読んでは怒っているけど、結局のところそんなにむかつくならばコラムを読まなければいいだけなことも分かっている。