ニューヨーク地獄編その3

アメリカに来てから食べたかったのにまだ食べていないものがある。ソウルフードだ。マイルス・デイヴィスの自伝を読んでからソウルフードが食べたくて仕方なかったのだ。
部屋の乾燥のせいで一睡もできず弱っている同居人を連れ、ハーレムへ。食べ物のためだけにハーレムくんだりまで行くなんてどうかしてると言いながらもついてきてくれる。地下鉄の125丁目の駅を降りるとそこはマンハッタンとは完全に別世界であった。人々の歩く速度がまず遅い。合わせてゆっくり歩く。大通りの店でおじいさんへの土産の帽子を買って、それからアフリカ布屋へ。ここで最初25ドルといっていた布が急に35ドルになって(つまりボラレて)同居人が完全に弱る。慌ててそこらへんにあるビュッフェ風のきれいなソウルフードの店に入る。本当はもっと本格的な店で食べたかったけど今の我々にはそんなパワーもお金もないのだ。
・フライドチキン
・豆入りスパイスご飯
・モツ煮込み
・ケチャップ味のスペアリブ
・マッシュポテト
・バナナの揚げ物
・オクラとトマト
すべてが繊細で、文句なしに滞在中ナンバーワンにおいしい食べ物であった。これ以上ひどい目に遭う前に帰ろうということになり地下鉄の駅を探すが、反対側の地上に駅が見える。路線図を見るとその駅なら一本で帰れるようなので、行ってみる事にする。これは完全な失敗であった。横断歩道をわたるとへんな匂いがして人が一気にいなくなる。金貸しの店とか怪しい店ばかりになってくる。判断力が鈍っていたのでそれでも駅まで行ってしまうと駅前で女の人に「ファッキンジャップが何でわたしの前にいるんだ」とわめかれる。電車は目の前だったけど「乗りたくない」と同居人に言って、早足で戻る。(あとで地球の歩き方を見たら立ち寄っちゃいけないエリアだったようだ)その後に乗った地下鉄もそうとうヤバかった。頭のおかしい人がずっとわめき散らしていてそれに呼応してもう一人の人がブツブツ言っている。身の危険を感じたが普通の人も乗っているからギリギリセーフだろうと思ってそのまま乗っていた。乗り換えた時には心底ホッとした。地下鉄も普通の東京の地下鉄みたいな安全な路線もあれば、やばい路線もあるんだな。乗り換えは東京と同じかそれ以上に難しいし。
その後また地下鉄でモマへ。ニューヨークの人は道を聞いても全然教えてくれないから萎縮して聞けず駅を間違える。この頃わたしは完全にニューヨークが嫌になっていて、もう物質的な豊かさには興味ないからチベットに行きたいなどとメチャクチャなことを言っていた。
でも、モマは行ってよかった。カフェでおいしいレモネードを飲んで、スーラとモネだけをゆっくり時間かけて見た。スーラはずっと見たいと思っていて、実際に見たら予想以上にすばらしくて泣きそうになった。1時間以上は見た。モネもゆっくり見る。
それからフィリップと待ち合わせておいしいピザを食べてレコード屋に営業巡り。もう英語を話すのがめんどくさくなってどこでも日本語しか言わなくなった(案外その方が通じるし)わたしを尻目に同居人の英語はニューヨークでは通じていた。
中西ちゃんをホテルに送って最後の力をふりしぼってヴィレッジ・ヴァンガードへ。ロイ・ヘインズを見に行く。すっかりニューヨーク不信となったわたしらは「日本人だと思うとなめられる。英語で話そう」と英語で会話しながら店に向かう。
ヴィレッジ・バンガードはまあ観光客向けであった。ロイ・ヘインズは80才くらいにしては現役ですごかったけど、他の若者がだらしない。せっかくロイ・ヘインズと演奏できるんだからもっと気合いれろよと思った。ピアノソロの間鼾をかいて寝ていた日本人のおっさんの態度が正しい。最後までニューヨークにはしてやられたという感じ。
ホテルの部屋が乾燥していてほとんど一睡もできないまま現金もトラベラーズチェックもゼロのすかんぴんの我々はJFK空港へ。(中西ちゃんのお金があったおかげで今度はなんとかタクシーに乗る。)最後クレジットカードを使いまくったので引き落としが怖い。
帰って来たらあんなに滞在中ドロボウに気をつけていたのに家のチャリが盗まれていた。