村上春樹の音楽の本

意味がなければスイングはない」がようやく文庫になったのを電車のつり革広告で知って、閉店間際の本屋さんに駆け込みました。うちにはテレビがないので、そして今の会社ではネットサーフィンができないので(特定のページを見続けたり、長時間ネットをやっているとコンプライアンス統括室から電話がかかってくるらしい。おーこわい。)、最近は電車のつり革広告でもっぱら世の中の動きを入手しているので、浮世離れ具合に拍車がかかってるのではないか、とちょっと心配です。
すでに図書館で何回か借りて読んでるんだけど、あまりにもおもしろいので文庫になるのを粘り強く待っていたのです。読みやすいけど、内容は深く、なかなか熱い本なので、音楽が好きなほとんどの人におすすめできる本だと思います。はじめて読んだ時はここに載っている人の音楽をすごく聴きたくなって、ツタヤでたくさん借りてしまいました。今は読み終わって、スタン・ゲッツの夢みたいに美しい音色を聞きながらこの日記を書いているのです。本の中では、わたしは特にブルース・スプリングスティーンの章と、ウィントン・マルサリスの章が好きです。ブルース・スプリングスティーンは勝手に抱いていたイメージがけっこう変わりました。レイ・カーヴァーと並べて論じてるところもおもしろいなと思います。
それと、何と言っても「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)かくも退屈なのか?」の章がなかなかすごいのです。きちんと音楽を聞いて、すごく丁寧に愛情を込めて、その退屈さを解明しようというその姿勢には、「村上春樹の小説は読んでなくても結婚詐欺だと分かる」とか言ってしまう、蓮實重彦とかへの批判にもなるんじゃないかなと思ってしまいます。自分も気をつけなきゃと思うけど、何かを「つまらない」とか「退屈」とかあるいは「前よりつまらなくなった」とかのたった一言で片付けてしまうことってほんとうに簡単で、これ以上ないくらい手抜きで、なおかつ自分がなんだか権力を握っているのではないかと錯覚してしまうような、危険な行為だなと、常日頃思ってるのです。ほんとにつまらないと思うのであれば、そしてそれを世間に表明したいのであれば、少なくともその作り手がかけたのと同じくらいの手間ひまと熱意を持って発表してくれよ、と思ってしまうのです。さらっと読めてしまうけど、軽いエッセイとかではなく、音楽への愛情と、批評への志を強く持った作品なのではないかとわたしは思ってるのでした。

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)