イヴェントのチラシ

寺澤君デザインの、5月21日のレコ発のチラシができあがりました。メチャメチャかっこいいです。これまでのチラシ史上最高の出来です。お楽しみに!
バンドをやってるのでいちおうステージに上がってますが、元々の資質としてはイヴェントのメンツやコンセプトを考えたり、人を集めたり打ち合わせしたり、ジャケを誰に頼むのか、とか、デザインは誰が合うかとか考えたり、そういう実務の方がわたしは断然演奏よりも向いているのです。誰と誰を合わせたらおもしろいかってすごく編集っぽいし、その組み合わせをすでにちゃんと評価のある有名な人ばかりではなく、ほぼ無名のわけがわかんない人ばっかりでやることがおもしろいなあと思うのです。イヴェントにしても漫想にしても考え方はほぼ同じです。大変で嫌になって疲れてやめたいことも多々あるけど。いつでも裏番長みたいなポジションでいたいというか、自分の名前をばーんと出して何かやるのは恥ずかしいし、めんどくさいからホント嫌なんだけどいろいろと影で動いてる、というのが向いてるんだろうなあと最近気づきました。
昨日の打ち上げで、「自分で作曲して、リーダーバンドをやってるのなら応援するけど、人のバンドのバックでやっているだけだから見に行かない」というようなことをある人が言われた、という話が出たんだけど、その話そのものについてはいろいろな背景があるから何とも言えないのですが、こういう考え方に自分も含め、みんなとらわれすぎているんじゃないか、と思うのです。バンドリーダーは確かに一番大変だし、曲を作るのはすごいことだけど、でも、人それぞれ向いてること向いてないことがあるのだから、曲作るのが向いてる人、歌うのが向いてる人、伴奏するのが向いてる人、演奏以外の実務が向いてる人、とそれぞれが皆得意なことを持ち出しあってバンドをやってるんで、それでいいんじゃないか、とわたしは思うのです。別にみんながみんな、作詞作曲者兼リーダーを目指す必要はないと思うのです。バンドである程度経験を積んだら曲を作って歌を歌うようになり、最後にはソロになったりする、というコースは別に進歩っていうわけではないんじゃないの?と思うのです。なんとなく、そこに受験勉強的な、画一的な勝負の匂いを感じてなんかいやだなあ、と思ってしまうのです。もう学校出たのだからそういういっせーのーせ、の全員参加的な勝負からは解放されてもいいんじゃないでしょうか?