衣替え

中井久夫先生いわく、精神的な健康をはかる目安として「1人でいられる」能力があるかどうか、というのがあるらしいのですが、この連休ライブもなくほとんど予定も入っておらず同居人はレコーディング業で留守気味、何もすることがないからああつまらない、いっそバイトでもしようかな、と考えてるわたしは精神的に健康でないのか、単に貧乏性なのか分かりませんが、だからといってよくよく考えたら、無理してまで人と会いたいという気持ちもないからとりあえずメンタルはだいじょうぶということにします。
キネアティックで上映していた同居人のドキュメンタリーを見て何がショックだったかって、自分が老けたことと、家の散らかりっぷりには全く変化がなかったことだったので、せっかく時間があるので少しずつ掃除しようと心に決めて、今日は衣替えをとりあえずしてみました。いつもながらビックリするくらいたくさんの洋服が段ボール、そして圧縮袋からドンドコドンドコ山盛りで出てきて、よくもまあこんなに買ったなあ、と自分のことながら感心してしまいました。
15歳くらいから洋服を自分の好みで買うようになって、古着に狂ったり高い服を分割払いで買いまくったり海外通販に凝ったりといろいろな時期を経て年々オシャレへの興味は低下気味、昔は何かが流行っていれば似合おうが似合うまいがすべてとりあえず試してたけどいまはもう着る前から結果はだいたい見えてるから流行は追わないし、服を買いに行っても迷うことがあまりなくなって、15年目にして段々と自分の好みが固まってきたような気もするのです。この状態がさらに進むと、「同じ服を何種類も持ってて毎日服が変わらない」のび太のような感じになるんだろうなあ。
とりあえず15年間、わたしが目がないのは・いろんな色の細かい刺繍・ノルディック柄ジャガード織り・動物モチーフ・水玉で、シルエットはピタっとしてないものが好きだからメキシコの民族衣装みたいな服とか、柄の入ったセーターは家にもう段ボール何箱分もあるのです。あと、ベージュのスプリングコートと、コットンの白のブラウスは各10枚は持ってるし。シルクは手入れが大変だから買わない、とかTシャツは全然似合わないから上にカーディガンを羽織る場合以外は不可、とか自分内ルールもそうとう整備されつつあるのです。だから、もう新調する必要はないよね、と衣替えのたびに思うのに、また今年もせっせと買い足してしまうだろうなあ。まあ、せっかく女性に生まれたからオシャレを楽しまなければ損だ、と思いつつも、この服の山の分で海外旅行に何回行けたことか、貯金だってできたはず、という考えが頭にチラっとよぎりつつ、アクロンを入れて洗濯機を回す恒例行事です。